千葉編(回想②) 侍の残り香

文・写真/侍ライダー 木村峻佑

ここ最近、もう梅雨かと思うほど雨天が続いている。雨の日といえば思い出すのは、千葉県佐倉市を散策した日のことだ。
3月10日。あの日は朝から晩まで一日中、雨。バイクは諦め、傘を差して付近を歩き回っていた。

佐倉は、その昔『佐倉城』があったことで有名な歴史の町である。
佐倉城は、北に印旛沼、西と南に川を携え、”馬の背”と例えられた台地に1611~1617年に築城された。当時の下総国には良好な石の産地がなかったため、全国でも珍しい石垣を使用していない城郭となっているのが特徴である。その代わり、土塁を巧みに使った“土の城の集大成”とも称されるお城なのだとか。

盗人の行灯が倒れて焼失したとかで、残念ながら本丸は跡地となっておりガラッとした空間が広がっている。
しかし季節になれば花見客で賑わいそうなロケーションで、周囲にはきちんと土塁の跡も残っている。

皆が中学時代必死に覚えた「日米修好通商条約」のハリスと交渉をした堀田正睦公がいた場であったり、文芸家・正岡子規が訪れた地であったりと歴史ある場所がこの城跡であるのだが、個人的にはこちらよりもオススメしたい場所がある。

それは、武家屋敷だ。
佐倉城址公園から少しばかり歩くと、古くは鏑木小路と呼ばれた武家屋敷通りに出る。付近には佐倉藩に仕えた中~上級武士の屋敷が立ち並んでいたとのことで、今もその名残が色濃く残っている。
こちらは明治19年に旧士族が建てたという屋敷で、「侍の杜」という名でなんと無料開放されているのだ。
客人に見ていただくための前庭や、剣術練習・植栽用の裏庭が、ほぼ当時のままの状態で見られるのは質素ながらなかなか見ごたえのある光景で、簡略的ながら武士の生活を綴った解説板も建てられている。

裏庭の植栽はほとんどが梅、柿、ゆず、びわなどだったとか。お気付きだろうか? ほとんど食せる実を成す木なのだ。
苦しいご時世もあった故、質素倹約をしていたのである。毎晩納豆ご飯の私のよう。

こちらは再現品だが、剣術練習用の練習木も設置されていた。私も思わず練習刀で・・・というのはさすがに迷惑なので、代わりに手刀を打ち込んでおいた。ジンっときて感動。
ちなみにこちらの敷地は、太平洋戦争中に交戦した空母・瑞鶴とともに散った、艦長の貝塚武男氏の借家跡であるそうだ。沈みゆく瑞鶴の中で、若い部下たちに退艦命令を出した賢将だった。
「死んではならん。どこまでも生きてゆけ。死んではならんぞ」

最期に、ぜひとも通っていただきたい場所。

武家屋敷通りの奥に佇む、『ひよどり坂』。
特に何ら由来があるわけではないが、昔からある竹林道。侍の時代へタイムスリップできるのでは?と思うほど風情のある景色が広がっているのだが、そこはぜひご自分の目で。

国の文明発展のため、鎖国を破ろうと尽力した侍。
主君のため民のため、身を削って自己研鑽した侍。
日本を憂い、部下に未来を託して命を散らした侍。
ここには、たくさんの侍たちの香りが残っている。

“私も、こうしちゃいられない”と、どこか思ってしまう。
そんな地なのであった。