京都編 海の京都

文・写真/侍ライダー 木村峻佑

「ふだんだったら、肩と肩がぶつかるほど参道は人で混んでるんですよ」

観光客で賑わい、土産物屋が手を招く・・・。そんな一大観光地『京都』に来たはずだったが、新型コロナウイルスの影響下にある都に人の影は少ない。
“無料駐車場だ!やった!”と飛びついた伏見稲荷大社も、訪れてみればガラガラで少し恐ろしさを感じた。
「この辺りも近年ホテル街になってきたんですが、開館前に潰れちゃうところもあったみたいで」と京都駅南で立ち寄った床屋さん。
事態が終息するまで、この観光街が維持されることを願うばかりである。
といっても、野宿できる場があるほど風通しが良くなっているわけではないので、海方面の舞鶴へ舵を切ることにする。

歴史的な建物が人気の京都だが、果たして海の顔はどうなのか。
訪れて見ると、迎えてくれたのは“はんなり”な雰囲気とはほど遠い軍艦たちだった。

舞鶴は北吸岩壁に、海上自衛隊の艦船が5~6隻は係留されている。
本来は間近まで行って見学可能なのだが、新型コロナウイルスの影響で休止中。
また車両も乗り入れできないので、愛車と撮るなら付近の『赤レンガパーク』駐車場がオススメ。

軍艦というものを初めて見たのだが、その巨大さと複雑さに驚かされる。と同時に、“何故ここに?”という疑問も・・・。その答えは付近にある赤レンガ倉庫群で知ることができた。

と同時に、“何故ここに?”という疑問も・・・。その答えは付近にある赤レンガ倉庫群で知ることができた。

横浜や函館でも見られる赤レンガ倉庫。だがここの倉庫は、あちらとは決定的に違う点があった。舞鶴赤レンガ倉庫群は、魚雷や銃、軍事資料といった、軍事関係の物資が集積される場だったのである。

舞鶴はかつて日本海側唯一の鎮守府(海軍軍事基地拠点)があった場所であり、日本海側防衛の要所であった。開庁にあたっては、軍人やその家族の流入に備えて周辺地域も大規模に整備され、市街地は碁盤の目状、海岸は直線となった。これらの名残は、今なお見られる。
明治34年に開庁した舞鶴鎮守府の初代司令長官は、「本日天気晴朗なれども波高し」で有名なあの東郷平八郎であった。

重厚な歴史があった故か、倉庫の大半は往時そのままの姿を残している。
線路跡などをまじまじと見られるのは、横浜などでは味わえない体験だ。
またそれを活かして、数々の戦争モノ映画のロケ地にもなっている。

ちなみに、これも倉庫で知ることができた知識なのだが、海軍は昔流行っていた脚気(かっけ)などを予防するため、洋食文化をいち早く取り入れていたそうだ。カレーライスやラムネを日本に伝えたのは海軍といっても過言ではないのは、皆さんご存知だっただろうか。
そんなわけで食文化に関する資料も多い倉庫を巡っていると、海軍がグルメ一派に思えてしまう。あの東郷平八郎でさえ、“肉じゃがの生みの親”といわれているのだから・・・。

たまらず食べてみた5号棟カフェのカレー『護衛艦ふゆづき』(税込1,250円)。
金属トレーに盛り付けられているので配給感がハンパない。
ちなみに舞鶴には、各々の艦艇名を与えられたカレーが10店舗で提供されている。
レシピの支給元は、なんと海上自衛隊地方総監部だそうだ。

陸から海へ。所変われば、歴史も違う。
軍艦、カレー、赤レンガ・・・。和のイメージが強い京都に、洋風文化も流れていたとは思わなんだ。
京都の海は面白い。丹後半島へ向かえば断崖絶壁コースを走ることができたりとドライブにも事欠かないので、たまには新幹線ではなく、バイクやクルマで探検してみてはいかがだろうか。