山口編 人知れず眠る者たちへ

文・写真/侍ライダー 木村峻佑

「おおっ、さすがにこっちは人が多いなぁ…」

豊北町の北西約1.5㎞にある角島と、それを結ぶ角島大橋。
まさに海を走る体験が味わえるここは、連休中ということもあり、そこそこの人で賑わっていた。
写真撮影に夢中になる人々を見て安堵を覚えるのは、この直前に訪れた場所のせいだった。

地図を眺めていると、角島より東、金子みすゞの生誕地である仙崎の北に、青海島なる島を発見。
「キレイな名前だな…」
角島大橋を渡る前に、ちょいと早起きして見に行ってみることにした。

島といっても、本土からほんの少し離れた程度。角島大橋の何百分の一だろうかという青海大橋を渡れば、上陸完了。県道283沿いに東の突端まで探検してみることにした。

朝ということもあるのだろうが、車通りは非常に少ない。道路に面した海は入江になっていて浅く、波も立たなくて静か。
周囲には、ただただロケットⅢの3気筒音だけが響く。

観光名所を表すような看板も特にないし、連休とはいえ誰もいないのかな…。
と、寂しさを覚え始めたころ、ようやく住宅地や船着き場が見えてくる。それでも見かけた人は、堤防に立つ釣り人ぐらいなのだが。

ここは明治末期まで捕鯨で栄えていた町のようである。
捕えた鯨を弔うため、近くの清月庵なる場所には鯨墓が建てられていた。
まだ見ぬ大海の夢を抱いたままの鯨の胎児70数体が、地中で永眠しているそうだ。

道路が続く限り東の端まで行くと、造船所を境に道がやや険しくなる。ロケットⅢでは苦慮しそうなので、徒歩で坂を上がっていく。
正直、ここまでで見つけられたのが鯨の墓ぐらいだったから、“何もないんだろうなぁ…”なんて諦めムードで歩を進める。
と、草生い茂る道の脇に一本、白く光る看板が見えた。

「日露兵士の墓……」

この先100mって書いてあるけ、これが道か?
それにこんな人知れない場所にそんなグローバルなスポットなんて。とは言えフェイクにしては立派な看板だし、取り敢えず行ってみよう。

いざ足を踏み入れてみると、申し訳程度に石板が並べられており、確かに道だということはわかる。それでも草や蔓は伸び放題で、顔面に何度も直撃してくるのだが…。

1分ほど歩くと草木の合間から光が差し込み、眼下に海が見えた。

おおっ…、これは隠れた良いビーチじゃないか。
先ほどの入江と違い日本海に面しているから、その様相は広大で青く、白波は強くてさざなみを立てている。

こうした景色を見られるのなら、無人道中を踏破するのも悪くない。
そう思いながら後ろを振り返ると、あった。

日露兵士の墓である。
どちらも日露戦争に関するもので、一つは玄界灘に向かう途中、ロシア軍に撃沈された常陸丸遭難者の墓碑、もう一つは対馬沖で壊滅したロシア艦隊遭難者の墓碑だ。
海で亡くなった兵士たちの遺体は山陰各地に漂着し、ここ“大越の浜”にも数体打ち上げられたそうである。

花は新しいものが供えられているようだが。
「こんな…人知れない場所で…」
言葉にすると、胸が苦しくなってしまう次第であった。
お偉いさん方の都合で戦争に駆り出され、家族にも会えないまま海で亡くなり、母国でない浜で誰にも知られず眠るなんて、いまの私たちに想像できるだろうか。

恐らくここ以外にも、人知れず建っている墓はたくさんあるのだろう。戦没者を祀る神社や墓地を訪れるのも大事だが、やはり現地で痛感できる悲惨さは並大抵のものではない。

旅は、楽しいことばかりでない。
時として、過去の悲しみも教えてくれる。
しばらくその場に、呆然と突っ立っていた。