


「忘れられない可愛さ」

文・写真/侍ライダー 木村峻佑
「俺が…日本の基準だァアーーー!!!」
姫路城に見とれていたりしたから、もうすっかり日没の時間になっている。
明石から東に進めば、神戸、大阪と野宿のしづらい街続き。こんなこともあろうかと残しておいた、宿代を奮発する時が来たようだ。
大都市 神戸のネオンサインを抜けて、一方通行の細道に入りカプセルホテルの前にロケットⅢを停める。
「でもまぁ…この宿代を我慢すれば、豪勢な食事ができたんじゃ…とは思っちゃうなぁ」
節制に慣れてくると、どんなふうにお金を使っても後悔しがちになってしまう。
しかし、今回はここに泊まって正解だったようである。
「おぉ~デッカいバイクだねぇ!」
荷物を下ろしていると、ホテル向かいにあるビル1階のこじんまりとした食堂から、コックコートに身を包んだおじ様が出てきて声をかけてくれた。
「いや~~、すごい音が響いてきたからさ、どんなクルマかとお客さんと話してたんだけど。まさかバイクだったとはね」
「すみません、お騒がせしちゃいましたね」
話の流れで「よかったら後で来てみて」と言われたので、荷物を置いてからお邪魔してみる。
「ヤバイお店に入っちゃったなぁ………!」
兵庫県神戸市中央区という、冷静に考えればすごい立地にある『ビストロWAKU』。
間口が狭く、玄関のドアしか見えないような外観だったから、中がこんなオシャレな空間だとは思いもしなかった。
「山下シェフはねー、某大手ホテルのシェフにも尊敬されるような、凄腕なんだよー!」
なんてお客さんと歓談を始めてしまうが、聞けば聞くほど“いったいいくらかかるんだ…!”と、うっすらとした悪寒に襲われてしまう。
旅人であることや、各地の思い出話などを披露させていただいていると、料理が運ばれてきた。
「マジで、いったいいくらかかるんだ?(汗)」
※ちなみに、この前に前菜なども運ばれてきている。
もう、開き直って、お金のことは忘れてその味に集中することに。
「旨っ!」
自分でも冗談みたいな話だと思うが、完璧な焼き具合と絶妙な味付けがされたステーキを食んだ瞬間、涙がジワァっと溢れてしまった。
「こんなに旨い肉…この旅で初めて食べました…!」
「おーそれはよかったわー」
身を震わす私とは対照的に、山下シェフは平然と食器を洗いながら屈託のない笑みを浮かべている。
「あの………、おいくらですか?」
と恐る恐る口を開くと、山下さんはその笑顔のまま首を横に振る。
「えっ、いいんですか…!?」
「いーのいーの。僕も、君からたくさん元気をいただいたから。旅に夢中になってる若者なんて、久しぶりに見た気がするよ。それより、明日も神戸に居いるんだって? よかったら、明日もおいでよ」
その日の枕が濡れたのは、言わずもがなである。
翌日は山を越えて有馬温泉は金の湯に浸かり、旅の疲れを癒すことにする。
草津にも行ったから、これで日本三名泉は制覇したことになる。
「でもまぁ…三名泉なんて選べないくらい、良い温泉はいっぱいあったなぁ…」
思えばこの旅、三日に一度は風呂に入るようにしていたが、行く先々で温泉が見つけられたのは、この日本の恵みといって過言ではないだろう。
湯は暖かく、人もまた暖かい。
日本は、恐らく世界一、旅に適した国じゃないだろうか。
そんなことを想いながら、陽を受け金に輝く湯面に、肩を沈ませた。
温泉を満喫し、昼頃にカプセルホテルに戻ってくると……。
やはりロケットⅢの爆音は隠し切れないようで、また山下さんがお店から出てきて手招いてくれた。
またしてもご馳走になってしまった後、「これから神社に参拝に行くんだけど、一緒に行かない?」とお誘いされたので、ありがたくご一緒させていただく。
「僕は毎月一度ここに来て、御神木さまから力をいただいているのよ」
神戸街中の生田神社を訪れると、山下さんはその裏手にある大木に手や額を当て目を閉じた。
「僕はこうして、いろんなものからエネルギーをもらったりしながら、シェフとしてはやり切れた感があるよ。だからあと2年もしたら、お店は畳んじゃう予定。木村くんも、今は20代でしかできないことをしたらいいんじゃないかな。30代になったら、30代でできることを。40代も、50代も」
そんな山下さんの言葉が、心に残った。
旅はもう終盤だが、人生はまだまだ続く。
走り回って、日本を知って。
そして…、これから私はどうすべきなんだろう。
考えなくちゃ、いけないなぁ。