和歌山編 清姫を追いかける

文・写真/侍ライダー 木村峻佑

「清姫の草履塚、清姫の腰掛け石、清姫の袖摺岩……」
誰だよ? 清姫って。

和歌山の地図を眺めていると、同じ人物の名を掲げた“清姫シリーズ”の史跡がいくつかあることを発見する。それがどうにも気になったので、縁の地なる道成寺(どうじょうじ)に足を運んで概要を伺ってみた。

道成寺から少し西に離れた場所に、彼女を弔って作られた蛇塚(じゃづか)がある。
予定調和っぽく境内にあるのではなく、住宅地の脇にあるのが妙にリアリティがある。
ちなみに道成寺は、元々は髪長姫こと宮子姫に縁のある場所だったが…そちらについては割愛する。

教えていただいたのは、安珍・清姫伝説。
かなり要約すると、昔、奥州は白河より熊野に参拝に来た若い僧『安珍(あんちん)』は、付近の田辺市のあたりに一泊。そこで出会った真砂の庄司清次の娘『清姫(きよひめ)』は安珍に一目惚れし、何度もアタックをしたそうだ。

が、安珍は修行中だからと徹底的に拒否。それでも彼女は諦めないから、「参拝の帰り道でまた寄るから、待っていてくれ」と言った。しかしそれは真っ赤な嘘。姫のもとに寄らず帰路を辿っていると知った清姫は怒り狂い、安珍を大追跡することになった。

最終的に安珍は道成寺に逃げ込み、そこの鐘の中に隠れたが、怒りのあまり蛇に変身した清姫に鐘ごと巻き付かれ、炎を吹かれ焼き殺されたんだそうだ。

「その後、姫は入水自殺をして、その骸を弔ったのがこの蛇塚と…」

怖いハナシ!

だが、ちょっと深堀りしがいのありそうな伝説である。同郷・福島の出だという安珍のモテっぷりにあやかるためにも、地図で出た清姫スポットを回ってみることにした。

国道のすぐ脇、農家の畑の中にあった清姫草履塚。
ここにかつてあった松は清姫が安珍の行方を見る際に上られた木だそうで、
そこからは日高川を渡る安珍の姿が確認できたそうだ。
慌てた清姫は草履を脱ぎ棄て、裸足で安珍を追ったのだという。
続いて、国道から脇道に入った民家そばにあった、清姫の腰掛け石。
特に解説板などはないが、名の通りここに座って休んだんだろうな、とは想像できる。
「…でもこんなに石凹むかなぁ!? 清姫そんな重かったかなぁ!!?」流石にこれは失礼じゃないかな。

同じく解説板も何もない、波止場にあった清姫の袖摺岩を眺めたあと、富田川を遡上して中辺字町へと入る。坂に沿って栄えた小さな村落の森の中に、清姫が生まれた真砂一族住居跡があるそうだ。

静かに揺れる竹林の先に、確かに石垣のようなものが残っている。
その上に家屋の類は残っておらずただの荒地になっていたのだが、“清姫生誕屋敷跡”なる看板はしっかりと立っていた。

「かつて本宮大社より遣わされ当地の国造りを任せられた真砂一族だったが、豊臣秀吉の紀州攻略に遭って滅亡。清姫は3代目清重と後妻との間に生まれた子で、わずか13歳にして没した…」
若いな…。
私はその頃、文字通り“燃える”ような恋をしたことがあっただろうか。

集落から坂を下り、最終目的地『清姫の墓所』を訪れる。
伝説的に骸があるのは道成寺の蛇塚なのだろうが、こちらは里の者たちが清姫を想って建立した場所らしい。
立派な巨岩には、安珍清姫伝説が刻まれている。“どうせ、知っている内容と大して変わらんだろう…”と思いつつ読んでみたが、そこには知られざることが書き連ねられていた。

まず清姫についてだが、彼女の父・清重がある日、黒蛇に飲み込まれそうになっていた白蛇を助け、後日やってきたその白蛇の化身たる女遍路と夫婦になった末に生まれたという、いわば人間と蛇のハーフらしい。
そして安珍との出会いについてだが、実は惚れたのは安珍の方が先。清姫の見目麗しさに惹かれ、周囲にもてはやされた結果、清姫もその気になったのだそうだ。
だが、ある晩安珍は障子に映った清姫の身が蛇になっていることに戦慄し、以降は清姫を避けた…という感じらしい。

「なんてこった…。元々は両想いだったってことじゃないか…」

世間一般に出回った内容だと“清姫は恐い”という印象が強いが、ここに書かれていたものは悲恋の物語だった。
もちろん、伝説なんてものはいくらでも解釈できて、どれが真実かなんてわからない。だが、私としては、この清姫の故郷で綴られた、人知れず残されてきた伝承の方を、なんだか信じてみたい。

墓の下では、清姫がその長い髪を揺らしてよく泳いでいたという清姫渕が流れている。
その緩やかな流れの上で、クルマが忙しなく国道を行き交っていた。

「あの人たちはきっと、ここを見下ろしもしないんだろうな…」

どんな物語も、いずれは忘れ去られ地の底に埋まっていく。そんなことを示唆しているような光景に、無性に胸が締め付けられた。