


風来記 締めくくりの言葉

文・写真/侍ライダー 木村峻佑
「俺は暑い暑い暑い暑い暑い………
ダメだぁ~~~! 寒い寒いサムイ!!」
伊勢神宮で東京への帰還を成就した後、国道23号沿いに伊勢湾近くをひたすら北上していたのだが…。道路沿いに密集した街はなく、そのほとんどは吹きっさらしのエリア。
そこを音を立て吹き抜ける猛風は私の体を引き裂くように撫でていき、筋肉はたちまち委縮、痛いほどの肩凝りと、手の感覚の麻痺という試練を与えてくれた。いくら暑いと口ずさんでも、脳は洗脳されてくれない。
いくら何でも、こんな中で野宿したら、死ぬ。
静岡ぐらいまでは野宿でいけるかと思ったが、ここらが限界のようである。
厄介事は後で考えることにし、四日市は西にある水沢(すいざわ)に宿をとった。
(四日市の街からはだいぶ離れているけれど、さすがに山には入らない立地だし大丈夫だろう…)
と向かってみたのだが。
ヤ~バイとこに来ちゃったなぁ…。
標高はどんどん上がり、やがて白い粒が視界を横切るようになったかと思えば、たちまちこの旅で初の積雪を拝むことになってしまった。
山の手前にあった『OYO旅館 みや』さんは、オーナーがバイク乗りということで屋根付き駐輪場を用意してくれるなど、手厚いおもてなしてくれる。
明日は積もるというらしいし、仕方がないのでここで2泊、その屋根を借りることにしよう。
そして翌日。
こうならないように、気を付けてきたつもりなんだけどなぁ…。
やはり旅というのは、そう予定通りにはいかないらしい。
開き直って、水沢名産の茶畑に積もる雪で目を楽しませていると、オーナーから「ここの裏に“もみじ谷”がありますよ」と教えていただいた。
暇すぎるので、雪を頭に受けながら足を延ばしてみる。
水沢は江戸時代において菰野(こもの)藩に属しており、当時は藩主がよく巡視を兼ねてここ“楓谷”に遊山したそうだ。
9代藩主の土方義苗が自然保護に尽力し、1809年に“もみじ谷”と名付けたとのこと。百人一首の一つ、“奥山に 紅葉踏み分け―”も詠まれた、由緒正しい地だ。
管理人の話によると、室町時代この辺りには33ものお寺があったそうだが、信長によって焼き討ちに遭ってしまったのだという。
逃れる際に持ち出した財宝が、この山のどこかに今も埋められたままだそうだが…。さすがに今、手を凍えさせて宝さがしをする気力は、ない。
谷から出て茶畑の上の方へ上る頃には、雪も少し収まっていた。
遠く眼下に、四日市の街と伊勢湾が見渡せる。
「いやはや、こんな状況じゃなければ、素直に絶景だと声を上げられるんだが…」
とは言え、山の方でチラつくダイヤモンドダストを見ていると、こんな日もあっていいか、と思えるのであった。
穴が空いたブーツで道路を念入りにこすってみるが、滑る気配はない。
明日には、溶けているだろうか。
この旅最初で最後の、真っ白い冬の贈り物。