


風来記 締めくくりの言葉

文・写真/侍ライダー 木村峻佑
浜松を越えたら、長野で出逢った天竜川と再会できた。
磐田に入ったら、学生時代の友人とも再会できた。
もう、ここまで来たら、私の知っている領分だ。
私は、帰ってきた。
見よ、このボサボサの髪。
見よ、この日焼けした長羽織。
グローブもブーツも、もう穴が空いていてボロボロで、ついでに最近は慣れない宿の枕で寝た故に寝違えてしまい、首が上を向かない。
お世辞にも見てくれが良いとは言えないが、人前を歩いて恥ずかしい想いなんて微塵もない。これは、かけがえのない旅の結果だからである。
それにしても、御前崎から見る駿河湾越しの富士山は、新鮮である。私は神奈川住みだったから、見ていたのはいつも山梨側だったっけ。
やはり親しみのある県まで戻ってきても、知らない場所はまだまだ多い。だから、今日も知らない体験を……もとい、今日は“味”を楽しもう。
三重県は水沢の宿のオーナーに聞いたのだが、この150号は別名“イチゴロード”と呼ばれ親しまれているらしい。数字の“15”が入っているからイチゴ…という由来もあるのだろうが、実はこの地は本当にイチゴが有名な場所だというのである。
快走を続けていると、やがて日本平へと続く久能(くのう)山の足元に敷かれた、いくつものビニールハウスが見えてきた。
見ての通り麓にはさまざまな屋号のイチゴ屋さんがあるが、それはここが“石垣いちご”発祥の地であることに由来する。
明治の時代、ここに住んでいた川島常吉(つねきち)なる人物は、東照宮の宮司・松平健雄(たけお)が転任してきた際にエキセルシャ種という外来のイチゴ苗をもらい受けたらしい。
それを桃畑の石垣近くで栽培してみると、育った蔓は石垣の間に這い上がり、石の輻射熱で冬だというのに赤く早熟したのだという。
イチゴは本来春の食べ物。それがクリスマスケーキ需要で冬に出荷できるようになったと聞くが、常吉氏はまさにその冬食べられるイチゴの先駆けとなったわけである。
さて、もちろんここまで来たのだから、石垣いちごを味わってみたい。
地図によると元祖であろう『常吉いちご園』の看板を背負った店舗もあるみたいだが、コロナ禍なのか残念ながら窓口は閉鎖中。
国道沿いにある『久能屋』さんで、イチゴパフェ Mサイズを注文してみた(600円)。イチゴは赤白選べるとのことなので、なんかカッコいい白に。ソフトクリームもバニラとストロベリーで選べたが、無論ストロベリーで。
おお…っ!
パフェ、パフェだ。いつぶりだろう…!
“本当に真っ白なんだな”とイチゴの白さに見とれるのもほどほどに、頂上に並んでいるイチゴをつまんで口に投げ入れる。
「ちべたっ…!」
そして、甘い!……だけでなく、すぐさまほんのりとした酸味が口の中に広がっていき、思わず奥歯が浮いて、顔が綻んでしまう。これはまさに、冬の味だ!
ソフトクリームも当然の如く旨く、イチゴの味が余すところなく煉り込まれている。材料をケチっているような薄っぺらさがない、濃密な味わいだ。そちらもシャーベットのようにキンキンに冷やされており、“夏だからラーメンが食べたくなる” ”冬だからこそアイスが食べたくなる”という謎欲求をことごとく満たしてくれた。
「堪能しました!」
春の訪れと、旅の終わりにちょっぴり先がけて。祝勝ともいえる甘みを、じっくりと噛みしめた。