スピードに魅せられた人生。

サイクリスト/レーサー 今中大介

文/大倉一彦(EIGHTH) タイトル写真/越中屋雅人(EIGHTH)

自転車ロードレース界において最も影響力のあるサイクリストは誰かと聞かれたら、ファンやジャーナリストはこの名前を必ず挙げるだろう。今中大介、1963年生まれ、広島県出身。言わずと知れた日本人で初めてツール・ド・フランスに出場した第一人者である。引退後も長年自転車界を牽引する一方で、もともと現役時代から魅了され続けていた自動車やオートバイを今も楽しんでいる。自転車はもちろん、乗り物の存在なくして彼の人生を語ることはできない。―――「EIGHTH’s PEOPLE」の記念すべき第1回目は、その今中大介氏に話を聞く。彼にとっての「EIGHTH」とは?

EIGHTH:今中さんが乗り物好きになったきっかけは何ですか?

乗り物の最初の原体験と言えば父ですね。父はスポーツカー好きで、自分が小学生の頃はエスロク(ホンダS600)に乗っていて、よく横に座っては「パトカー抜かして!」なんて無茶を言ってた(笑)。当時からスピードが出る喜びを本能的に感じていたんですね。となると、自分でもスピード感を得られるもの=自転車になるわけです。当時流行っていた、セミドロップハンドルの5段変速でフラッシャーなどを備えたジュニアスポーツ車を買ってもらって、テクニックもないのに下りをガンガン攻めていましたね。よくドブにはまって血だらけにもなりましたが(笑)。

流行りと言えば、その頃はスーパーカーブーム全盛期。広島では毎年5月にフラワーフェスティバルという有名なお祭りがあって、当時そこで本物のスーパーカーが飾られていたんですね。それまで消しゴムや下敷きを集めていただけのものが、目の前に夢のような世界が広がった。「いつかあんな宇宙船みたいなクルマに乗ってみたい!」と憧れました。

EIGHTH:本格的に自転車競技を始めたのはいつ頃からですか?

1989年、大分大学大学院の時、国体のポイントレースで優勝

高校では自転車部ではなく陸上部でした。でも、なぜか毎日片道15kmの通学路を自転車でガンガンもがいて通っていた。そのうち自転車部の練習にも呼ばれるようになったけど、まだ一生懸命という感覚ではなかったですね。大学に入ってからはオートバイの中型免許を取って、愛車のRZ250で峠に行ったり、仲間と九州一周したり。そんな友達が多く、冒険っぽいことが好きでした。

競技として本格的に自転車を始めたのは22歳のとき。ちょくちょく県大会に出て、そこそこの成績だったこともあり自分で自転車のサークルを立ち上げたんですよ。大学は大分だったから、よくやまなみハイウェイや別大国道に走りに行ってバスと競ったりしてました(笑)。そうやって徐々に自分の力で走る喜びや、景色が変わっていくスピード感や美しさに魅せられていったんですね。

EIGHTH:遅咲きの選手だったというのは意外でした。その後実績を出してロードレース界へ?

大学院でも競技を続けていて、国体のトラックレースで優勝しちゃったんです。大学が工学部・機械科で元々メカオタク的なところもあって、卒業後はシマノに入社しました。自転車のパーツなどに興味があったんですね。クルマの整備なんかも好きだった。

実業団チームのシマノレーシングに入ってからは、さらに自転車選手としてのモチベーションが上がり、今までの自分とは違う人間になっていくような感覚でした。身体がどんどん絞られて、大腿四頭筋とハムストリングの間にはくびれがギュッとでき、上りでもガンガンに走れるようになって、まさに飛ぶような感覚。今じゃ考えられない(笑)。モータースポーツでより速いマシンを求めるのと同じで、自分の身体なら鍛えれば鍛えるほど速くなれる。もちろん苦労はあるけど、そこに到達して得るものがあった時の喜びは何ものにも代えがたかったですね。

1996年、ツール・ド・フランスの舞台に立つ。初日のタイムトライアルレースのスタート。
日本人の挑戦はすべてはここから始まった。

EIGHTH:その後海外チームに所属して、ツール・ド・フランス出場などの輝かしいご活躍は周知の通りですが、選手時代と引退後で乗り物との付き合い方は変わりましたか?

引退後に始めたビジネスも競争みたいなもので、常に全力で何かを追っていないと気が済まない感じでしたね。メディアやイベントなども含めて、ロードレースの裾野を広げるために精力的に活動してきました。一方で、選手時代からホンダNSXみたいにレーシーなクルマが好きだったから、ビジネスが落ち着いてきた頃にサーキットに行き始めたのも自然の流れだったのかもしれません。インタープロトシリーズ、フォーミュラ4に参戦して、クルマでも常にスピード感を追い求めていました。

サーキットで走り始めた頃。InterMaxのウェアは片山右京氏からのプレゼント
2017年 インタープロトシリーズ公式戦でスポット参戦、ジェントルマンで優勝

オートバイも大好きです。ロードバイクと同じ二輪だけど、自転車以上に操っている感や一体感がありますね。風を切る感覚とかエンジンのビートは、本当に生き物みたい。ガソリンで動いているのはわかっているけど、まるで馬にでも乗っているような感覚で相棒という言葉が似合う。

スピード系選手の多くがそうであるように、自分はロードバイクもオートバイもクルマもやっぱり競技志向が好き。アドレナリンが出る感覚がとにかく気持ちいい。そう考えると、スピードやスリルを本能的に求めた子どもの頃の体験が、そのまま今につながってるんだなと思いますね。

盟友、片山右京氏と初ツーリング。中央は世界GP250ccシリーズチャンピオン原田哲也氏。雑誌の取材の一コマ

EIGHTH:これからやってみたいことは?

個人的には、今やっているレーシングカートでいつか優勝したいし、フォーミュラレースをちゃんとやってみたいなんて考えたりもする。50歳越えても一定のレベルでトレーニングしていれば、身体も動体視力もまあまあイケると思うんですよね。とは言え、今は育ててもらった自転車への恩返しというか、日本がヨーロッパに近づけるようにしたいという想いが強いですね。自転車に乗り始めた人でもちゃんとわかるようなシステムをつくっていきたい。一般の市民レースからツール・ド・フランスのような最高峰レースまでのピラミッドをわかりやすく一体化させて、目指すものは違ってもみんながひとつの想いになれる、そんな自転車文化を実現したいと思っています。

2019年、ロータックスMAXマスターズ参戦。昨年は2位の好成績を残した。

EIGHTH:今中さんにとっての「楽しい移動」とは?

ちょっとはまっているのが、Google Mapsが表示したちょっと変なルートに敢えてのってみること(笑)。「えっ、なんでこの道なの?」というナビをしてくるとき、ありますよね。以前富山に行った帰りだけど、日本アルプス越えのルートを出してきたから、もうそのまんま進みました(笑)。凄いところにきてしまったな~と後悔しつつ登っていくと、きれいな星空が広がっていたりして。いままで知らなかった世界に出会えるし、冒険しているみたいでワクワクする。ただの移動は退屈だけど、ちょっとした『非日常』を入れることで俄然楽しくなりますね。

今中 大介 氏
シマノレーシングの選手として国内タイトルを総ナメにし、1994年プロに転向。
1996年に日本人のプロロードマンとして唯一ツール・ド・フランスに出場する。
1997年の「ジャパンカップ」を最後に現役を引退。
その後は自転車の輸入を主な業務とする株式会社インターマックスを設立し、
同時にスポーツサイクルアドバイザーとしてテレビやラジオに出演するほか、
ゲストライダーとしてヒルクライム大会などのサイクリングイベントに出場している。