競技ひとすじの青春時代。
困難を乗り越え、日本一のトライアスロン指導者を目ざす。

トライアスロンコーチ 中村美穂

文/松崎祐子

現在メンバー数700名を超える紹介制トライアスロンコミュニティ『TRIMING(トライミング)』を率いるコーチ兼代表の中村美穂さん。幼い頃から競泳に打ち込んできたが、トライアスロンを始めたのは社会人を経てからと言う。金髪が凛々しい「Miho C(ミホシー:美穂コーチが由来になった愛称)」にトライアスロンとの出会いやトライミングへの想い、そして今後の目標を語ってもらった。

EIGHTH:トライアスロンはいつから始めたんですか?

デビューレースは2015年、27歳のときに出た九十九里トライアスロンが初レースでした。なんと、そこで優勝しちゃったんです、しかもランシューでバイクを漕いで。その勢いで翌年の6月にケアンズ(オーストラリア)のアイアンマンレースに出場しました。

トライアスロンをしつつも美白をキープするのがミホシー流

EIGHTH:トライアスロンをはじめてすぐにアイアンマン!?元々スポーツをやっていたんですよね?

競泳です。4歳でスイミングスクールに入ってから大学生まで、競技者として練習していました。オリンピック出場も目指していたのですが、次第に自分と世界のレベルの差を感じてしまって。故障が続いたこともあり、競泳は大学卒業と同時に辞めて、その後一般企業に就職しました。
でも、会社員時代に摂食障害で食事を一切受け付けない拒食症になってしまい、体重が激減してしまったんです。身長が170cmで体重は31kgしかなかった。
いままで生きてきたアスリートの世界は、自分の努力次第でパフォーマンスが上がり、無限の可能性を感じられたけど、会社では自分がいくら頑張っても結果につながらないことも多い。自分の情熱と会社に求められる仕事の温度差に苦しくなってしまったのだと思います。躁鬱、パニック障害、適応障害、味覚障害、すべて心の病気でした。

EIGHTH:その頃、スポーツはやっていましたか?

会社員時代の4年半、一切やっていませんでした。でもあるとき、いまの自分は本当に守りたいものができたときに何もできないのでは?という恐怖感が湧いてきて、このままじゃいけないと思い、またプールに通い始めました。
最初はプールの端っこを歩くところから。競泳選手として1日、15〜20kmも泳いできたプライドも一切捨てたところから始めて少しずつ。そしたら「やっぱりスポーツっていいな」と思えて、そのときにスポーツの世界に戻りたい、と思ったんです。それからはアフタースクールに通ったり、専門書を読み漁ったり、大学教授の論文を見せてもらったり。自分の経験を指導者の立場から語彙化するため、栄養学、心理学、機能解剖学、幼児の行動心理学、ヨガRYT200取得など幅広く学び、指導者として独立しました。

EIGHTH:水泳をやってきたのになぜトライアスロンを始めたんですか?

水泳の指導者になるために水泳連盟の資格も取って、最初は子供たちに教えていました。そんな中、子供たちのご両親でトライアスロンをやっているご夫婦がいて、トライアスロンのスイムを教えて欲しいと言われたんです。そこでトライアスロンの扉がちょっと開いた感じです。
そこから出会いが舞い降りてきたというか、私の師匠でもあるトライアスリートの山本淳一さんから、ATA(アスロニアトライアスロンアカデミー)で指導者をしないかという話をいただきました。当時はトライアスロンの“ト”の字も分からないぐらい素人だったので、まずは淳一さんがメインコーチでそのアシスタントに付かせていただき、生徒さんのタイムを計ったり、動画を撮ったりして、トライアスロンコーチの勉強をさせてもらいました。

EIGHTH:自転車に乗り始めたのはその頃ですか?

そうです。トライアスロンのために乗り始めました。最初はロードバイクの乗り方も分からなかったし、走りながらボトルを取って給水する、なんてまったく。なので走行中はガマンして、喉が渇いたら止まる…みたいな感じで(笑)。

現在の愛車はトライアスロンバイクSPECIALIZED New SHIV DISK

EIGHTH:いまでは想像できないですが…。乗れるようになってどうですか?

自転車はスイムやランと違って、道具使って操らなきゃならない。それが難しくもあり、面白くもあり。ペダルをいかに滑らかに回せるようになるかということをずっと考えてきました。真円でペダルを回せるようになると自分の体と自転車との一体感が感じられて、そこに快感を覚えます。そうなると本当に楽しい。心強いもう一人の自分って感じです。指導でも言うんですが、自転車は自分の手足でもあるから、家に帰ったら自分の手足を洗うのと同じで自転車も綺麗に磨いて欲しいですね。

EIGHTH:オートバイにも乗るそうですね。

大学が東京の郊外にあったので、その頃の移動はほぼ原付スクーターでした。大学時代に普通二輪免許を取って、20代後半に大型免許を取りました。ホンダのオフロードバイク「アフリカツイン」に乗りたくて教習所に通ったんですが、本来12時間教習のところ40時間もかかっちゃって。スラロームが超苦手でそれだけで20時間ぐらい。アクセルを吹かして車体を起き上がらせることが怖く、“身のこなし”でスラロームをすり抜けてしまっていつも教官に怒られていました(笑)。
いまだにアクセルを吹かすのは苦手です。私が行った教習所はすごく厳しかったんですが、でもそれをクリアしたからこそアフリカツインのような大きなバイクにも乗れたんだと思います。

念願叶って手に入れたアフリカツイン。身長170cmのミホシーでもシート高は高く、ローシート&アンコ抜きをしていた

EIGHTH:クルマにも乗るんですか?

好きですね。社会人になってすぐに新車の日産スカイラインを買ったぐらい。ちょっと無謀過ぎて半年で手放さざるを得なかったんですけど(笑)。いまは所有車はなくて、もっぱらシェアカーを使っています。
トライアスロンコーチをしているので、みんなで自転車に乗るときは私がサポートカーとして付いていくこともあります。例えば、今日は4人4台だからこのクルマ、別の日は2人だからこのクルマという風に状況に応じて車種を選べるので便利です。

EIGHTH:トライアスロンの話に戻りますが、今の活動はどんな感じですか?

いまは選手というより指導がメインです。以前、プロゴルファーでトライアスロンをやっている方に「ゴルフもテニスも“女子プロに習え”と言われるんだけど、トライアスロンもそうだね。ミホシーはパワー任せではなく身のこなしで動作を生み出すコーチングがうまいね」と言ってもらいました。
だけど女性のトライアスロン専門コーチってまだまだ少ないんです。だからスイムもバイクもランも力任せではなく、いかに滑らかなフォームでスムーズに行うことができるか、それが私のトライアスロンレッスンのテーマです。

トライミングメンバーとの練習会、いつも笑顔で溢れている

EIGHTH:主宰されている「トライミング」はメンバー数700名を超える大きなコミュニティですが、紹介制なんですよね?

トライミングはスクールでなく“コミュニティ”というスタイルにこだわっています。コミュニティであればたとえレッスンに来られなくても情報共有ができますし、あくまで心の繋がりなので、トライアスロンで悩みがあったり練習方法に迷ったらミホシーに相談すればいいんだと、そう思ってもらえたら私も幸せです。だからルールも一切決めていません。その代わり紹介制というルールだけは作っています。“信頼する◯◯さんが連れてきてくれた信頼できる◯◯さん”達によって絆を繋げてきた私たちは、たったひとつのルールだけで平和も友情も自然に広がっていきました。

大胆かつスタイリッシュなデザインのトライミングのウェアはトライアスロン会場でもひときわ目を引く

EIGHTH:最後にこれからの夢や目標を教えてください。

初心者からオリンピアンまで、自分の経験値と知識量ですべてをカバーできるコーチを目指しています。例えば、人と接するプロとして声の届け方や発声方法をボイストレーニングで学び、メディアの露出もあるので、コミュニティを代表する立場として自分に合うアスリートメイクの方法もプロから学びます。
学ぶことはトライアスロンや身体のことだけではありません。指導する時もただ大きな声で喋るのではなく、いちばん心に響く周波数で声を届けることや何Hzで発声すればみなさんの集中力が続くかとか、そこまで深めています。

いま私がメインでコーチをしているのは大人のトライアスリートたちです。みんなが掲げてくれた目標を一緒に達成しよう!そのお手伝いをするのが私の仕事。加えて最近はオリンピックに携わる仕事もお受けしたりしているので、競技色の高いところでスイム、バイク、ラン、それぞれに携わる現場で現役の選手たちを育てたいという気持ちと、それに伴う準備ができています。

中村 美穂 氏
紹介制トライアスロンコミュニティ『TRIMING(トライミング)』代表。
日本で数少ない女性トライアスロンコーチ。子どもの頃より競泳を20年続け、会社員を経てトライアスロンコーチへ転向。
競技者、コーチとしてトライアスロンを安全に楽しむ普及活動を行っている。愛称は“ミホシー”。
スペシャライズドやリーボック、スワンズなど数々のブランドでアンバサダーも務める。
また近年ではプロアスリートのマネジメントや知育運動プログラムの普及活動、若年層の自殺率をゼロにするための活動『一般社団法人 誰もが誰かのライフセーバーに』の理事を務めるなど、活動は多岐に渡る。